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数台のパトカーが
2008.07.03(Thu)
先日、夕方にパトカーがけたたましくサイレンを鳴らしながら通り過ぎて行った。うちのマンションは国道沿いなので、パトカーが通る事など、しょっちゅうある事なので全然気にしていなかったのだが、数分後にまた一台通って行った。
うむ、よく通るなーなんて思いながら、ニュースを見ていると、もう一台来るではないか。それから数分してもう一台。そしてまた一台。「パトカーが通過しまーす。進路を開けてくださーい」と絶叫しながらやって来てサイレンが止った。 さすがに気になって、ベランダに出るとすぐそこで、そんなに何台も来るほどか? と言うような交通事故をしていた。 「なんだよー」なんてあきれながら、妻に向かって「大した事故じゃないよー」と言ったのだが、自分の声が二重に聞こえるではないか。 ふと、横を見ると隣の部屋の奥さんが照れ臭そうに「こんばんわー、やっぱり見ちゃいますよねー」と笑っていた。 |
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「美顔」 第七話
2008.05.19(Mon)
どうです? やはり、先生のおっしゃる通り、子供時代に原因があるのでしょうか?
あっ、そうです。そうです。その通りです。よくおわかりですね。 さすがは大先生だ。私は複雑な家庭環境で育ったのです。そして、もっと幼少の頃にも、あのお顔を見たことがあったのです。すっかり忘れていました。 実は、私には腹違いの姉があるのです。私が五才の時に、母が再婚し、新しい父とその連れ子の女の子と新しい家で暮らすことになったのですが、その女の子と言うのが、私より三つ年上で、私にとっては義理の姉と言う事になるのです。この義理の姉は急に弟ができたものだから、私を非常にかわいがりました。 そして、私も、母のためにも新しい父と義理の姉に気に入られなくてはと考えていましたので、姉に気に入られよう、気に入られようと努力をしていたものです。 ー第八話につづくー ↓ランキング参加中 押してくれたらうれしい! |
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「駆込み訴え」 太宰治
2008.05.18(Sun)
この「駆込み訴え」は、言わずと知れた「新約聖書」の中のキリストとユダをテーマにした話なんだけど、キリストの事はよく知っていても、ユダに関しては名前くらいしか知らないと言う人も多いかと思う。
ユダとはキリストの十二弟子の中の一人で、キリストを裏切り、銀三十とひきかえにキリストをパリサイ派に引き渡したとされる人物で、そのユダがキリストを裏切る場面を、太宰独特の視点とユーモアで描いた傑作が、この「駆込み訴え」です。 太宰がこのユダを題材にしたのはなぜだろうか?と考える時に、私には、太宰がユダに共感するような部分があったのではないかと思える。 多くの物語には、所謂「ベビーフェイス」と「ヒール」が存在するけれど、このユダは「新約聖書」の中では「ヒール」と言うには、少し頼りないと言うか、悪役と言い切れない人物で、十二弟子の中でも、殊更多く登場するわけでもなく、最後の晩餐の途中と裏切りの場面に出て来るくらいなので、商人の子であると言う以外は、ユダがどういった人物なのか、際立った個性の露出はされていない。 「名悪役」と言われる存在感はないが、キリストを裏切ることによって後世まで「裏切り者」と呼ばれることになったユダに対して、太宰は同情やシンパシーを感じたのではないかと思う。 聖書をよく読むと、ユダはキリストを裏切った後に、自責の念に駆られお金を捨て、自殺したとする福音書もある。また、考え方を変えれば、少し強引かもしれないけど、聖書の予言通りにキリストが十字架にかけられるようにしたと言う見方もできなくはない。 そんなユダの存在が太宰の心にひっかかったのではないかな?と思ったりする。 この「駆込み訴え」の中で、ユダの裏切りは、キリストへの愛情と憎悪が背中合わせに存在したからこその行為で、ユダの語り口は、ユーモラスだけど、ユーモラスだけでは片付けられない、哀愁漂う独特のもので、そこがこの話の魅力だと私は思う。 冒頭の「申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は酷い。酷い。はい。厭な奴です」です。この畳み掛けるような語り口。たまりません。ここまで読んで、次が読みたくならないわけがない。 それから最後の「銀三十であいつは売られる。私はちっとも泣いてやしない。私はあの人を愛していない。 −−中略−− 銀、三十なんと素晴らしい。いただきましょう。私はけちな商人です。欲しくてならぬ」の箇所など、「ああ、強がるなよ。不器用な男、ユダ・・・」と同情してしまいそうになる。 この「駆込み訴え」は、いわゆる口述筆記と言うやつで、太宰が一気に喋った事を、夫人が書き留めたとの事ですが、短いとは言え、この小説を一気に喋ったと言う太宰は天才としか言いようがありません。 それから、この「駆込み訴え」をきっかけに、聖書を読んだ方も多いのではないでしょうか? 太宰自身は聖書を非常に好んでいたそうで、一人で原稿を書くために旅に出る時などにも常に携行していたし、「聖書の中には宝箱のように、宝石のような言葉がたくさんちりばめられている」と語っていたそうです。 そんな「駆込み訴え」は新潮社の「走れメロス」の文庫版などに納められているので、機会があればぜひご一読ください。
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